感謝すること

  • 感謝すること。世間一般でも、感謝は大事だということを子供の頃から教えられます。

そして1日でも生きていれば「ありがとう」と言います。質問用紙に記入してくれた時、卒業するときに担任の先生にそう言ったり、友人にノートを見せてもらったりなどなど。

そして感謝されると人間は嬉しいものです。皮肉で言っていることを除けば、「ありがとう」と言われて怒る人はまずいません。まあ嬉しいの度合いはそれぞれ異なりますが。

私は現在大学生で、大学に入ってから4回高校に行きました。そして高校の時も4回ほど中学校に行きました。

この回数は頻繁に訪れている類に入るようです(私の親に言われました笑)。でも卒業式の日だけでは何か足らない、そんな気がしてせめて知っている先生がいるうちだけでもと思って訪れています(母校の状況がどうなっているのかも気になっている点もあります)。

だいぶ話が逸れました。私たちは人間から感謝されるだけでも嬉しくなります。だから人の役に立ちたい職業に就きたい、職業でなくてもボランティア活動をしてあの土地の人たちに恩返ししたいと思う人がいることからも伺えます。

しかしここで質問してみます。

真心から、それも涙が出るくらいまでの感謝をあなたはどれくらいしたことがあるでしょうか。

社交辞令的なお礼はよくみかけます。それは先に話したことと似ています。しかし本当に心の底から感謝をする日はどれくらいあるでしょうか。

さらに人間以外に感謝すると言われると何を思うでしょうか。大地に感謝する、ペットに感謝する、自然に感謝するなどを思い浮かべるでしょうか。

確かに私も人間以外に感謝の思いを抱くことはあります。私の場合は大学に進学するに当たって住み始めた土地でしょうか。

私は小学生の頃から都会には住まないと思っていました。東京の首都高速や鉄道のあの複雑な路線の地理感を身につけるために行くのは構わないと思っていましたが、何だか住む気にはなれませんでした。

それもあって田舎の大学に進学しました。もともと行き慣れていたところというのもありました。実は何十回行ってもなぜか飽きることがありませんでした。

この場合の私の感謝は自分に合った土地に、そしてここに居たいなと思ったところに、巡り巡って住むことになった感謝といえます。

また話が逸れました。戻ります。

私にとって人間以外のものとは神様です。日本にいる神社仏閣の神様ではありません。この神様は聖書の神様です(このことについてはこちら)。

そして感謝をするときは、よく神社仏閣でやるような形式的なものではなく、心の底からするのです。何も聖書の神様は人間の心を見る神様だからです。

そして神様に感謝をすると気を受けることができます。それも絶大な(こちらの記事になります)。

この気は不安や恐怖のどん底からも立ち直らせてくれる気を感じることができます。かなり心身が疲弊しているときでも活力が湧いてきます。そのときに受けるとまるで死の底から復活したような感覚を覚えます。

感謝をする内容は何も難しいことをする必要はありません。たとえば夕食を今日も美味しく食べさせてくださってありがとうございますとか、美しい山の景色を見せてくださったこと、無事に帰れたことなど私自身そのようなことを感謝しています。

そして感謝をしていると決まって私は感激して涙してしまいます(私がすぐに泣いてしまう性格もあるのかもしれませんが笑)。人間に感謝された嬉しさとは比べものにならないくらいに。

もちろん神様の知識を付ける方が格段に気持ちが深まります(それはこちらから)。ぜひとも皆さまがこのような感覚を味わうことができることを望みます。