神社仏閣について

今日は神社仏閣の話をします。

前回の記事で神社仏閣には行かないようにということを述べました。その理由を述べていきます。前回の記事は以下のリンクになります。

「祈り」って

結論から言うと神社仏閣には悪魔が居て、それを拝むのは悪魔崇拝になるからです。

日本には大きい都市であろうと小さな町や村に大なり小なり神社や寺があります。そして法事やら初詣やらで無宗教の人でも行ったことのある人は多いと思います。日本にはこれくらい当たり前と化しています。年中行事もこれらに基づいているものが多いですね。

それこそ今の時代はパワースポット巡りといってテレビやインターネットで流れています。芸能人とかが宣伝すれば1度だけでも行きたいという気になって出かける人もいるくらいです。

ただ実際に行ったところで自然の豊かさを感じるくらいでこれといった力を得られなかった人もいるでしょう。悪魔が力を貸してパワーを得たということはあるかもしれませんが(笑)。

なぜ神社や寺が悪魔崇拝とかかわりがあるといえるのかは以下のリンクをご覧ください。

RAPT×読者対談〈第七弾〉神道とユダヤ教と悪魔教のつながり。悪魔教が日本に伝わった経緯。

やはり「釈迦」は紛れもない悪魔崇拝者でした。その確固たる証拠をお見せします。

仏教の「お経」や「真言」が悪魔を召喚するための呪文であり、仏教が悪魔教であるという確たる証拠。

RAPT×読者対談〈第101弾〉日本は昔も今も悪魔教の国。

〈閲覧注意〉日本の密教もまた悪魔崇拝そのものです。

古代エジプトの太陽信仰=悪魔崇拝が、現在の日本の天皇家へと流れ着き、天皇家を最大級の財閥にするまで。

これらを読めば四国八十八か所とかパワースポット巡りなど無意味であることがわかります。場合によっては悪魔に魂を売るようなことにもなりかねません。

現に仏壇とかに置いてある仏像も近づくと気分が悪いです。私自身6年前に仏壇から曾祖父母の命日が書かれた木の札を取り出したときにとてつもない不安に襲われ、体調を崩してしまいました。そのときは罰が当たったのかとも思いましたが、今考えると仏壇の仏像に付きまとっていたサタンどもの波長を受けてしまったのだと思います。

さらに昨年の夏に祖父の法事で寺に行ったのですが、たくさんの仏像があったところはやはり気味が悪かったです。お坊さんの笑顔も不気味で気持ち悪かったです。2年前の私であったらそんな気持ちにもならなかったでしょう。あの暗い感じ、線香のにおいもダメですね。

先日も書きました通り本物の神様と通じるには場所は関係ありません。お経のような定型句も一切必要ありません。一番大事なのは心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして主なる神を愛することです。何回でも何十回でも何百回でも呼び求めていいのです。毎日たゆまず交信し続ければ神社仏閣では味わったことのない幸福感に包まれるようになります。

それに神社仏閣に行き続けると人間の霊魂を変質させる危険もあります。その話はまた後日に譲ります。だから神社仏閣に行って拝むのは即刻止めた方がいいです。悪魔を拝むと人生が破滅しますから。