祈ることの第3弾

今日は祈りの第3回目です。

前回の第2弾の記事は以下の通りです。

祈ることの第2弾

前回は明け方の祈りについてお話をしました。

明け方の祈りがよく祈れるとその日のコンディションはよくなります。雑念にとらわれる時間も少なくなりますし、雑念が少なくなると集中もしやすくなります。また雑念は罪の考えも催しますので、雑念が少なくなるとその分犯す罪もやはり少なくなります。雑念についてはまた後日お話します。

どのように祈ったらいいかは第1弾や2弾でもちょいちょいお話はしてきました。今日はもう少し詳しく話していきます。

どう祈ったらいいかは聖書にこのようなことが書かれています。


祈るときには(マタイによる福音書6章5~15節)

「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい。

『天におられるわたしの父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』

もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人の過ちを赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」


これを見ればわかるように仏教のお経のように決まった文句はありません。そしてこの言葉の通りに祈らないと神様は聞いてくださらないということもありません。

そして神社仏閣では人のいるところで参拝して祈ることをやります。小さなところでは人はいませんが。そして黙想したり小声でする人が多いと思います。

しかしこの聖句をみればわかるように人に見てもらおうと祈ることは忌むべきものとされています。そもそも人に見てもらおうと祈ったところで形式的になって終わるだけだからです。それに自分の負い目を告白することを省くでしょう。

そして言葉数が多ければいいというものでもないと述べています。もし言葉数が多ければいいというものであったなら、「あなたは20語しか言ってないから願いは聞き入れられない」、「あなたは200語述べたから願いが早くかなう」ということになってしまいます。もちろんそんなことは誰一人としてそのようになった人はいません。それでは心がこもっていなくてもよくなってしまうからです。

だからといって省けばいいというものでもありません。祈りとは以前対話という話をしました。もし対話相手が必要な言葉を省いてばかり話したら、何が言いたいのかわかりません。確かに心の内を見抜いている神様なので何を必要としているかは見抜いていたとしても、その思いを言葉で打ち明けるないしは求めることをしないとかなえられません。

私の場合はたとえば、「今日は学校に行っている間にこれこれの罪を犯してしまってごめんなさい。もうどうかあのようなことを二度としないようにお願いします」や、「将来どの道に進むのがいいのでしょうか」というようなことを祈ります。これをみると何も特別なことではありません。普通に人と話す言葉で問題ありませんし、それで祈りはかなえられています(もちろんはなえてもらうには、他にもさまざまなことをがありますが)。

あと悪い者から守ってくださるようにということも出てきます。このように祈るのも大事です。この悪い者は何も意地悪してくる人間に限ったことではありません。悪霊やサタンも含みます。

いままでの記事やRAPTさんの記事でいかにこの世が悪に満ち溢れているかはお分かりいただけると思います。24時間絶えず狙われているといっても言い過ぎではありません。性的な誘惑、お金の誘惑、罪の誘惑、不安、恐怖も結局のところサタンどもが与えているものです。

だからこれらのことから守られるように祈るのは大事なことなのです(もちろん他のことも大事です)。あらかじめ祈っておけば、いざ罪を犯しそうになったときや危険や事故に直面したときに、自分では思いつかない霊感が思い浮かんで回避することができます。私もつい1週間前にある罪を犯しそうになったときにすぐさま止めてくださりました。なぜ守ってくださったのか分かったのかは聖霊の強い力を感じたからです。止めた直後にそれを感じました。

この御言葉だけでも祈りのかなり重要な要素が含まれています。悪人の誘惑や攻撃から逃れること、他の人の負い目を赦すこと、人から認められようとする考えを捨てることなどが示されています。聖書と併せてRAPTさんの記事を読むと最強コンボになります。

まずは祈ることを習慣化してください。私も以前の記事で書きましたが、最初は短時間からスタートしました。多くの人が祈りに覚醒しますように。