祗園祭はバアル生贄儀式

祇園祭というと毎年7月17日に京都で行われる祭りです。

京都府京都市東山区四条通りと東大路通りが交差するところにある八坂神社の祭礼といわれています。平安時代貞観年間(西暦859~877年)の御霊会(ごりょうえ)が起源とされています。概要は以下のWikipediaに書かれています。

祇園祭 – Wikipedia

2015年のゴールデンウィークに京都に車で行ったときに祇園の近くの細い道を通りましたが、細い道に人が溢れかえっていてにぎわっていました。祇園祭でないときでしたから、祭りのときはもっと人が溢れる状態になるのでしょう。

それはともかく祇園祭というと大きな祭りであることは何となくわかっていても、その本当の由来を知らないという人は多いと思います。

しかしタイトルにも書きました通り、この祭りはまぎれなく悪魔崇拝儀式です。その証拠は以下のリンクに書かれています。2015年8月9日の記事です。

京都の「祇園祭」はもともと牛頭神バアルに幼子を生贄として捧げる悪魔崇拝儀式でした。

リンク記事の抜粋を以下に転載します。全文を読みたい方は上のリンクからみられます。

---(以下転載)---

ということで、今日もまた「秦氏」の悪行を暴き出します。

皆さんは京都で行われている「祇園祭(ぎおんまつり)」をご存知でしょうか。どんな祭りなのかは知らなくても、名前ぐらいは聞いたことがあると思います。

祇園祭 – Wikipedia

というか、名前は聞いたことがあるけれども、どんな祭りなのかは知らないという人が大半でしょう。

実はこの「祇園祭」。もともとは幼子たちを悪魔に生贄として捧げる「悪魔崇拝儀式」に他なりませんでした。

私もこのことはこれまで全く知りませんでしたが、つい先日、ある読者の方がこの情報を寄せてくださったので、私も「本当だろうか」と思って、ざっと簡単に調べてみました。

その結果、この情報が紛れもない事実であることがすぐに分かりました。

----------------(以下、こちらから転載)

祇園祭のそもそもの由来は平安時代に疫病が流行し、それを鎮めるために行われたのが始まりです。

当時は上下水道が完備されておらず、また京都は盆地であり内陸のため、湿度が高く、マラリア天然痘、インフルエンザ等の疫病が流行り、大変な問題になっていたそうです。

(註:当時は、これらの災厄が「皇族」などの利権争いによって殺された者たちによる祟りだと考えられていました。)

当初は朝廷の命により執り行われましたが、室町時代になってからは、商工業者(町衆)の自治組織が中心となり行うようになり、今日まで続いています。

また特徴としては稚児を長刀鉾にのせ、神への生贄にして、稚児を長刀何人も殺して、疫病を鎮めようとしたことが分かっていいます。

現在山鉾の生身の稚児は1つのみで、他は人形ですが、当時はすべて生身の本物であったと考えられています。そう考えると本当は祇園祭というのは怖いですね。

(註:怖いどころじゃありません。)

当初はコンチキチンという祇園囃子はなく、江戸時代からついたそうです。祭りに参加する人はそのような事はまず知らないで参加していると思われます。

(註:知っていたら、誰もこんなお祭りに参加しないのではないでしょうか。)

----------------(転載ここまで)

要するに、マヤやインカ、アステカで行われていた人心供養と全く同じことが行われていたわけです。

日本が世界最古の悪魔崇拝の聖地であるという幾つもの証拠。

で、この「祇園祭」を始めたのが実は「秦氏」なのです。

----------------(以下、こちらから転載)

平安遷都のために必要な巨額の資金も、秦 島麻呂が出しました。

つまり、平安京京都盆地エルサレムの街を再現すると同時に、秦氏が朝廷中枢に入り込み権力を掌握するための巨大な公共事業でもあったのです。

よく指摘されている、「平安京」という名は、イスラエルエルサレムと同じ意味です。エル・サレムはヘブル語で「平安の都」という意味であり、平安京ということなのです。

この平安京には、秦氏エルサレムへの憧憬の想いが込められています。それは平安京が造られた後に始まった「祇園祭」に現れています。

今も全国の各地で夏に行われている祇園祭の中心であり本場は京都の祇園祭です。

京都の祇園祭における最も盛大な行事、山鉾巡業は、毎年7月17日に行われています。

この日は、聖書の「創世記」にある、ノアの箱舟アララト山に漂着したとされている日と同じです。

祇園祭は、元々は伝染病が起こらないようにと願いから始められました。

一方、旧約聖書によれば、古代イスラエルのソロモン王は、やはり伝染病が起こらないようにとの願いを込めて、ノアの箱舟アララト山に漂着したとされている日とちょうど同じ時期に盛大な祭りを行いました。

京都の祇園祭は、7月1日と7月10日にも重要な催しがあります。

これらの日は古代イスラエルの人々にとっても、重要な催しのある日でした(ラッパの祭り及び大贖罪日)このように、平安京には聖書から由来されていると思われる事柄が多くあることがわかります。

----------------(転載ここまで)

秦氏」がもともとユダヤ人であったということは有名な話です。彼らは以下のような経緯で、日本に渡ってきたと考えられます。

超古代日本(ムー大陸?) → ヒッタイト古代エジプトヘブライイスラエルアッシリアバクトリア → 秦 → 新羅 → 日本

このことについては、またいずれ詳しく記事にしようと思いますが、とにかく「秦氏」は見ての通り、もともとはユダヤ民族の一派でした。

で、このユダヤ民族は、「旧約聖書」を読むとすぐに分かるのですが、聖書の神様ヤハウェにいつも徹底的に反抗していました。

彼らは決してヤハウェに従順な民族ではなかったのです。

彼らはヤハウェから拝むなと厳しく命じられていた「バアル=牛頭神」という偶像の神様をいつも拝みつづけます。徹底的に拝み倒します。

で、彼らはその風習をイスラエルから離れた後も行いつづけ、日本に来てからも行いつづけました。

その挙げ句の果てに、彼らはこの「バアル=牛頭神」に祈りを捧げる目的で、「祇園祭」というお祭りを始めてしまったわけです。

---(転載終了)---

このように子供に生贄をささげる恐ろしい祭りが祇園祭です。悪魔崇拝は何もヨーロッパの話ではなく、日本にも現実としてある話なのです。これが日本三大祭りとして掲げられているのは呆れる話です。