神様が定められた人生の時
今日は人生の時についての話です。
例えば聖書にはこのようなことが書かれています。
旧約コヘレトの言葉第3章1〜8節
何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。
自分の意志で決めてやったことが、実は神様の定められた時であったり、たまたまそうなったことが実は定められた時であったりということが生じます。詳しくは以下の有料記事に詳しく述べられています。
RAPT有料記事33(2016年1月11日 )神様がそれぞれの人生に定めておいた時。
経験している当時は何だかよく分からなくても、後になってからわかるということもあります。
私は私は2015年3月にRAPTブログに出会ったことは度々書いてきました。実はブログに出会う直前まで日ユ同祖論にはまっていました。
小学校5年の時にテレビ東京で特番でやってた、みのもんたが出てた日本歴史ミステリーの祗園祭のところが始まりであったと思います(祗園祭の私の書いた記事はこちら)。
しかしセンター試験が終わったあたりか、私大受験が終わったあたりのいずれかから、何かに取り憑かれたかのように日ユ同祖論をネットで調べ続けていました。夕食を済ませた後はパソコンでずっと調べていたのを覚えています。
当時の自分は天皇家のルーツを調べる目的で見ていました。日本神話にある高天原の実在地も知りたくてしかたがありませんでした。そしてどこからかユダヤにつながってしまったのです。
そして2015年3月にRAPTさんの日ユ同祖論の記事を見つけたのがきっかけで今に至ります。
このようにRAPTさんのブログに出会ってから、あの日ユ同祖論のハマりはこうしてRAPTブログに出会うためであったとわかりました。
と自分の話になってしまいましたが、上の有料記事を見ていただければ、今までの人生の時がどうであったかがわかります。