世界のあちこちにある菊の御紋
前回では天皇家が古代エジプトから日本に流れ着いて、日本で悪魔崇拝者かつ天皇財閥を築くまでの過程をおおまかに書きました。
今回は日本以外にもみられる天皇家の紋章(菊の御紋)をみていきます。
前の回で古代エジプトから天皇家と同じあの16枚菊の紋章が出てきただけでも衝撃なものですが、これはエジプトだけではなく世界のあちこちで見つかっています。
以下のraptさんの記事にエジプトのものも含めて、世界の菊の御紋の画像が載せられています。2015年12月7日のものです。
以下の画像は上の記事の画像を転載したものです。
これはマヤで見つかった石像です。この石像の上の角二つのところに菊の御紋が刻まれています。
また東ローマ帝国(ビザンツ)とアラブ海軍の戦いのときに使われた武器にギリシア火薬というものがあり、その絵がウィキペディアに載っていましたが、こちらにも菊の御紋と思しきものがあります。
そのウィキペディアにあった画像は以下の通りです(画像のURLはこちら)。
左側が東ローマ帝国(ビザンツ帝国)で右側がアラブ海軍です。左側の舟のところに菊の御紋(と思しきもの)が刻まれています。ビザンツ帝国とエジプトがつながっていたことを暗示させるものです。
これらの画像以外にもシュメールやエジプトのツタンカーメンなど日本以外のあちこちに天皇家と同じ菊の御紋がみられます。
このような御紋が世界のあちこちにみられるということは、やはり古代から世界各地で悪魔崇拝である太陽信仰がはびこっていたという証拠です。
世界史の教科書とかでは、世界各地で同じ菊の御紋が見つかっていることをたまたま同じ考えであったというように片づけてしまいますが、結局はraptさんの上のリンクの記事にも書かれているとおり彼らはつながっているのです。
神話の世界でも、世界各地で類似性がみられるということが数十年も前から語られていますが、結局のところバアルがスサノオとなって日本にやってきているように、悪魔崇拝という根底は世界各地でつながっていたということなのです。
そして世界が悪魔崇拝でつながっているということがばれてしまうといけないので、歴史の教科書ではバラバラにして書いたり、偶然という言葉で片づけてしまうのです。場合によっては全く触れないということもあります。だから歴史について訳が分からないことになってしまうのです。
ということで天皇の話は続きます。