罪を清めるという掃除

今日は罪を清めることについて話をします。

私は高校までは教室の黒板掃除や教室整備、雑紙処理をやっていました。現在は自分のゼミの資料室の掃除をやっています。気が向いた時ですが。

聖書やRAPTさんの有料記事に出会ってからは新たな掃除が始まりました。罪の浄化です。

18〜20年分の掃除はやはり一筋縄ではいきません。家の掃除も20年もしなければちょっとやそこらじゃ落ちません。やはり心(というか霊的な)掃除もなかなか苦戦します。というか苦戦しないことはありません。

1日2日ではもちろん落ちません。1ヶ月で少し変わったかなというレベル、まだ信仰を持って1年程度では全て落ちません。かえって再発することさえもありました。

しかしRAPTさんの有料記事、とりわけ明け方の祈りを始めてから半年を振り返ると罪を犯す時間は減りました。本当に無駄な時間を過ごしていました。

また罪があると本当にサタンどもが誘惑してきます。犯せば自責の念やさらなる誘惑、そして攻撃を仕掛けてきます。さらに恐ろしいのが癖になって犯し続けてしまう性質があります。負のスパイラルに入り込みます。

罪を犯すと気が抜けたような感じを味わいます。というか実際に抜けます。さっきまで聖霊の熱い感動を受けていたものでさえも奪われていきます。抜けるとやる気もなくなりますし、おまけに眠くなってしまうことでさえあります。

罪を清めるにはどうしたらいいのか。それは悔い改めです。罪を清めること、また悔い改めることに関する記事は以下になります。

RAPT有料記事74(2016年6月6日)体の垢を洗い落とすように、自分の罪を毎日悔い改めなさい。

RAPT有料記事158(2017年3月27日)心の中から全ての悪の根を断ち切ってこそ、人生が祝福に包まれる。

RAPT有料記事169(2017年5月6日)小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実だ。

あの罪を犯した、あれも犯したといって悔いるだけでなく、そこから進んでもう二度と犯してやるものか、おさらばしてやると日々決心し、かつ祈り求めることです。どうしても人間だけの力の決心だけでは断ち切れません。現に自分がそうでした。明け方の祈りを始めた2016年11月以降、現在ではいままでやっていた罪を一つ犯さずに記録を更新し続けています。

最初のうちは断ち切れるかどうか不安なものですし現にそうです。それでもひたすら毎日毎時もう絶対やるものかと決心し神様にお願いし続けてください。1か月・2か月もすると犯す回数や時間が減っていることに気づけます。

またなかなか断ち切れなくて犯し続ける自分に極度に悔しさを感じたり、自暴自棄したりすることもあります。ただ自暴自棄するのは得策ではありません。というか時間の浪費にもなります。ただ悔しいというだけでなく、その気持ちのベクトルをサタンを滅ぼす祈りもし続けてください。結局のところ罪に誘惑するのはサタンですし、攻撃をしてくるのもサタンです。

あと自分がやっているのは断ち切れると本当に信じて祈ることです。祈り求めるときに断ち切れるかどうか不安になってしまっては神様の力を存分に受けられません。たとえ時間がかかろうとも断ち切れる自分が必ずやってくることを信じ続けて私もやっています。とはいっても私自身、自信を失ってやっぱりダメなのかなと思うこともあります。それでもあきらめずに信じて祈り続けます。

私の罪との闘いについてはいずれ少しづつ書いていくと思います。汚れは日が経てば経つほど力を入れないと落ちなくなります。だから少しでも早くこの汚れを落としていくことが大事なのです。