心にくる聖書の箇所〜ヨハネによる福音書〜

今日は久しぶりに聖書の話になります。

タイトルにも示した通りヨハネによる福音書の話が中心になります。

あくまでも私の心に沁みたことなのでご注意を。

ヨハネによる福音書は新訳聖書の四つの福音書の最後の部分になります。

他のマタイ、マルコ、ルカの三つの福音書と違った描写になっています。新共同訳聖書の第○章の下の所に()付きで関連箇所が書かれているのですが、ヨハネ書はこれが少ないです。

ヨハネ書の中でも私がいつも感動するのが、14章から17章のところです。ここの場面は最後の晩餐のところでイエス様が弟子たちに話をしている場面になります。

特に14章に出てくる聖霊を与える約束の話、16章の悲しみが喜びに変わるという小タイトルで示された話、17章のイエス様の祈りのところです。

イスカリオテのユダに裏切られる直前のイエス様の祈りは、他の三つの福音書にも書かれています。しかしヨハネ書のところの祈りはより具体的に書かれています。

ここの所はイエス様の心情を理解しやすいところです。読んでみるとほとんどイエス様自身のことではないことがわかります。

ここを読んでいると2000年後に生きる私たちのために祈っている感じがします。そして何よりも最後の最後までご自身ではなく、兄弟のために祈っているということが私にとっての一番の感動の点です。

兄弟姉妹のために祈ることの重要性はraptさんの有料記事でもおっしゃっています。

RAPT有料記事146(2017年2月13日)中心者のため、兄弟姉妹のために心を込めて祈りなさい。

兄弟姉妹の祈りは同時代に生きる人たちに届くだけではありません。時空を超えて後世の人たちにも届けることができます。

そして顔が分からなくても、名前を知らなくても、どこに住んでいるかが分からなくても全く問題ありません。その人が祈りの波長を受け取れるか否かにかかっています。

話を戻しますが、ヨハネ書の終わりの方は、他の福音書と比べて最後の晩餐付近が詳しく書かれています。

基本的にどの福音書も洗礼者ヨハネの話からイエス様の復活までが書かれていますが、それぞれ描写が異なっています。全体像を掴むには今回挙げたヨハネ書だけでなく、他の三つの福音書、そして使徒言行録や手紙の部分も読むのをおすすめします。

そして最初は訳が分からなくても、何度も何度も読んでみてください。好きなところから虫食いで読んでいって通読の方法でも構いません。

聖書だけだとやはり難しいのでraptさんの有料記事も併せて読んでみてください。聖書の理解がよく進みます。