RAPTブログのおかげで、年回りに縛られていた私を解放してくれました。

今回は証を書いていきます。

RAPTブログに出会う前、日にちによって自分勝手に悪いことが起きやすい日だとか、良いことが起きやすい日だとか考えている時がありました。

具体的に言うと、寅の日(や寅年)、そして亥の日(や年)は悪いことが起き、午の日は割と良いというような考えでした。

そのような考えに至った理由としては、その干支であった年や日を振り返ってみて、あの年(やあの日)は悪いことが起きたのだからまた起きるかもというようなものでした。

2010年(寅年)に祖父が亡くなって以降にはそのような考えを持っていた記憶があります。

で、2011年ころには高島暦の本を買った時もありました。

高島暦に興味を持ったのは、亡くなった祖父の家にあったことや、2009年12月頃に学校で隣の席になった女子から悪口を書かれたことがきっかけだったと思います。

そして2009年は私にとって「天中殺」と呼ばれる年に当たっていました。簡単に言ってしまうと悪い時期ということです。

それで、2009年に学校であのようなことが起きたのは「天中殺」だったことも影響したのだろうと思っていました。

2010年の節分までが自分の天中殺だったので、それが終わったら良くなる可能性があるかもと思ってました。

その一方で、「2010年は寅年。12年前の事故のように災いが起きなければいいな」とも考えていました(1998年は赤ん坊なので私は記憶にはありませんが)。

しかし先述のように2010年に祖父が死去。それで寅年はやはり悪い年なのだと余計に思うことになってしまいました。

高島暦の本は2011年版を買ってから買うことはなかったですが、寅年、寅の日は悪いものだという認識はずっと残りました。

それこそ、2016年10月に本格的にRAPTさんの有料記事の御言葉に従い始めたくらいまではとらわれていたように思います。

RAPTさんの有料記事を読んで、義の条件を立てていくうちに自然と気にならなくなっていきました。

2019年は私の懸念していた亥年でしたが、以前のように気にすることはありませんでした。

2019年2月に祖母が圧迫骨折で入院した出来事がありました。ですが、ちょうどその頃はRAPTさんの朝会の配信でもおっしゃられていたように艱難苦難の期間だったので、サタンの攻撃ではなかろうかと考えていました。

信仰を持っていなかったら、寅年の時のように亥年も自分にとっては不幸な年だと思い込んでいたかもしれません。

しかし、RAPTブログで神様の愛を受けることや、サタンとどう戦ったらいいのかなどを知ることができたおかげで、亥年だからという考えにとらわれずに済みました。

災いが起きたとしても、その原因が何かを正しく考えられるようになりました。

それこそ信仰を持つ前は、たとえ天中殺や寅年ではなく、いいことが起きたとしても、本当に解決したい悩みは解決することはありませんでした。

いいことが起きたとしても、またどこかで災いが来るのではないかという不安もありました。

神様の存在を知ってから、信仰前に起きたいいことも大したことがないものだったと思うようになりました。

それ以前のいいことは不安のつきまとったいいことにしか過ぎなかったと感じています。

それにいいことがなかったとしても恵みに満たされる日々を過ごせるようになりました。

かつての私と同じような悩みを持っている人、また違った悩みを持っている人も必見のものです。

RAPT有料記事2(2015年8月10日)考えが運命を左右する。

RAPT有料記事13(2015年9月29日)神様の愛という最高の宝物。